2021年2月6日(土)

緊急事態宣言が延期され、自粛生活を余儀なくされている。

町を見ると多くの人が行きかい、まるで日常に戻ったかのよう。

見えない敵と戦い続け、気づかぬうちに精神を削られて目先の娯楽に手を伸ばす。ちょっとくらいいいだろう、遠いどこかで起こっている病気だろう。

そう思ってしまった。出かけようとする口実を作ろうとしている自分がいた。

去年はまだコロナウイルスのことをよくわからず、未知の感染症として捉えていた。若い人は無症状、死なない。高齢者は死ぬこともある。その程度の知識が私だけでなく多くの人々にとっての限界だった。

最近言われるようになったのは、後遺症の存在だ。

空咳が止まらない、倦怠感が続く、脱毛症、味覚が完全には帰ってこないなど人それぞれ後遺症は異なるもののかなり高い確率で残り続けるようだと聞く。

私はアルバイトのため大都市に出かけなければならず、人と接する機会も多い。

去年感じていたコロナの脅威以上に今怖がっている。

そしていつも考えるのは自分がコロナに感染したとして、他の誰かを感染させてしまうのではないかということ。一番は母の存在。

母にうつしたら間違いなく重症化すると思っている。そのことが一番怖い。

早くコロナが収束しないだろうか。ワクチンを接種できないだろうか。

そんなことばかり頭の中に渦巻いている。

コロナ感染を気にしない人に会うと価値観の違いを十分に感じてしまう。

些細なことで相手にイラつき、そんな自分に嫌気がさすときもある。

それでも身内の重症化を考えると苛立ちは募るばかり。

コロナ収束以外にこの気持ちが収まることはないだろう。

感染症がこんなにも苦しいとは。見えない敵と戦うのはもう嫌だ。

幸いにも大学には比較的行くことができている。自由に研究生活を送らせてもらっている。

文系の人に話を聞くと全く行けていないとのこと。文系の先生方も学生に直接会うことがほとんどなく、寂しい思いをしていると嘆いていた。

当たり前の日常が奪われた。

大学で過ごすはずだった毎日が失われた。

友達とご飯を食べながら他愛ない会話をする。授業中にわからないところを教え合う。仲間と議論して自らの思考を深める。大勢の人の前で発表の機会を得る。様々なことに挑戦する。いろんな場所へ出かけてみる。

そのすべてがない。何もないのだ。

机の上にパソコンを載せて椅子に座り、画面越しに世界を覗く。

小さい液晶からこぼれる光に照らされる。

これが繰り返される。私たちはロボットのようにそれをやるしかない。

少しずつ積るストレス。一体どこで解消するべきなのか。

人と人との繋がりは私たちにとって必要不可欠で、なくてはならないものだったと気づく。

繋がっていると思うからこそ、自分が必要な存在なのだと感じるからこそ生きていける。

そんな風に感じた夜。

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