時に男性に冷たくならないといけない自分に病む

時に男性に冷たくならない といけない自分に病む

こんなツイートを見かけた。

分かりすぎる。こちとら普通にニコニコ接しただけなのに、距離感バグってるやつに「好意」と受け取られてしまう。

「目の前のあなた」だから優しくするんじゃなくて、「目の前の人なら誰でも」基本的に優しくするというのに。

男性から「善意」ではなく「好意」を向けられた瞬間に「あっ、接し方間違えた」と気づいても、もう遅い。

こっちには好意が無くて答えられないのに、相手は好意を押し付けてくる。私の気持ちを分かろうともしない。だって、私の好意があると思い込んでいるから。自分の欲望に忠実に動くだけ。

相手の女性が自分と話したくないと思っていることにも気づかないで。いや、気づこうともしない。相手の心を読むことを放棄しているから。察することがとにかくできない。

相手との距離感はこちらから提示しないと

だからこの人と恋愛関係になりたくないな、距離感バグってるなと感じた瞬間に心のシャッターを下ろして、塩対応に移る。

距離感を提示してあげれば、流石に気づくみたい。好意なんかないよと。

冷たい人だと思われるかもしれない。きっと思われている。

しかしそれが私の身を守る唯一の手段なのだ。力では敵わないと分かっているからこそ、暴力が発生する前に何とか距離を取って被害が出る前に自分を守る必要がある。

日常に潜む恐怖心

男性が思っているより、女性は男性に対して恐怖心を持っているんじゃないだろうか。

電車で痴漢に遭わないか、家までつけてこられないか、家の前に知らない男性が立っているときに家に入るか迷ったり、、。日常の生活の中で、常々男性から暴力を受ける可能性と防衛手段を考えている女性がほとんどだと思う。

今まで生きてきた中で男性から受けてきた性的な視線や行動が、女性に恐怖心をもたらし、同時に身を守ろうと本能的に動くようになる。

日常に潜む男性への恐怖心。男性に生まれていれば、知らない男性にビクビクすることもなかっただろう。男性と一定の距離を取って、塩対応することもなかっただろう。

そんな自分が嫌で嫌でたまらない

塩対応する自分が憎く感じるときもある。

本当は誰にでも優しく接していたい。人から優しくされたときの嬉しさと、人から傷つけられたときの辛さを知っているから。極力、人にはニコニコ親切に接していたい。

でも、それを阻む男性への恐怖心。身を守るという本能が、優しくありたい自分を阻む。

冷たくしてしまったという自己嫌悪と、身を守れたという安心感の間で揺れ動く。

年を取っていけば、きっと解消されるのだろうか。

ありのままの自分でいられない社会。性的な違い。

それはもうしょうがないと腹をくくって、毎日を生きるしかないんだろう。

女性で生まれたことを後悔したくない。女性に生まれたことを誇りに思えるような日が来るまで、少しでも私らしく生きられたらと願うばかり。

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