安易な「死にたい」に宿る若者たちの叫び声

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死にたいわけじゃない。でも生きていたくはない。

この世の中で人々が口にする「死にたい」「消えてなくなりたい」

これは別に本音じゃない。うまく言語化できなかった結果の死にたい。

本当に死を望んでるのはごく一部で、ほとんどの人は本気で死のうと考えているわけじゃない。

ではなぜ「死にたい」と軽々しく口にするのか。

それは自分自身に絶望して、生きる意味を見失うから。

生きることは困難で、苦しくて、辛い。

時に理不尽な目にあいながら、歯を食いしばって前を向くことを強制される。
みんな苦しんでるんだから、お前も苦しめと刃を突きつけられる。
同調圧力に耐えなければ、コミュニティから追い出される。

求められているのは均一で文句の言わない「お人形」。

でも私たちはひとりひとり違う。顔も声も考えも思いも信念も違う。同じように見えて、きちんと個性を持っている。その人にしかない良さがある。

それに気が付かないまま生きている人がほとんどかもしれない。

私たちの心の叫び声「死にたい」。

それは本当に死にたいんじゃなくて、生きていたくないだけ。
この場所から逃げ出したいという逃避本能が働いているだけ。

だから私たちに必要なのは、生きていたいと感じられる明るい社会と希望。

重い空気にさらされて、誰かの顔色を伺うだけの生活をしたいわけじゃない。

笑っていたいだけ。
生まれ落ちて良かったと言って死にたいだけ。
誰かのために動ける人間になりたいだけ。

この絶望的な社会で、希望を見るのは難しいかもしれない。それでも私たちは希望を自らの力で作り出して、次の世代へと引き継いでいく義務がある。自分勝手に生きていくことは許されていない。

私の存在価値は何か?と考えて立ち止まったままよりも、一歩でも進んで存在価値を見つけ出そう。

私は何だってできる。強く輝ける場所がある。目はまだ死んでいない。

自分だけは自分を愛そう。自分自身に絶望してはいけない。

夜に浮かんだ月を見てふと、月は太陽に照らされないと輝けないんだということを思いだす。

昔から私は月が好きだった。太陽よりも目立たなく、ひっそりと夜を照らす月。そんな控えめで、でもとにかく美しいところに目を奪われた。

しかし月は自分の力で輝いているわけじゃない。太陽の存在によって輝くことができている。

人間の世界も同じだろう。だれかの輝かしい功績の裏には、名も無き人々の存在がある。

この世界では月が輝いて見える。太陽は眩しすぎて見えない。名も無き人々は実は太陽なのだろう。

美しい月ではなく、ギラギラ燃える太陽になる。それが私達の生まれた意味。誰かの為に生きること。


死にたいと口にする人々。それには実に様々な意味が含まれており、一概には言えない。言い方や状況によって容易に変化していく。

ただ、大抵の人々の「死にたい」はこの辛さから逃げ出したいという意味であると思う。

生きることは複雑で、いいことよりも嫌なことの方が多い。

それでも私たちは生き続けなければならない。誰かの太陽になれる日は必ず来るのだから。