自分の番号がなかったとき、心を支配したのは悲しみよりも失望だった

自分の番号がなかった。何度見直してもなかった。

 

その日は学校だった。教室から出て、一人になれるところを探し、廃れた廊下の端に身を寄せた。

スマホを持つ手が震える。汗が止まらない。心臓が響く。

ホームページにアクセスして、合格者の番号が一覧になっているpdfを手に入れる。

多くの番号を目の前に、きっと自分の番号もあるはずだと願い続ける。

あるに決まっている。あんなにがんばったんだから。

何もかも犠牲にしたんだから。

誰かが笑っている横で、ペンを動かし続けて参考書のページをめくり続けて。

サボってしまったときは時間を巻き戻したくなって。

そんな自分が嫌いで。

でもそれでも頑張ったんだから。人生の中で一番頑張ったんだから。

絶対私の番号はある。自分の番号を何度も頭の中で唱えた。

番号を1つずつ追いかける。だんだんと自分の番号に近づいていく。

だんだんスクロールする指のスピードが落ちていく。

こわい。

無いかもしれない。

すでに泣きそうで。

スクロールを続けた。

 

....無かった。私の番号はそこには無かった。

間違いかもしれない。何度も見返した。

それでも無かった。どこにも無かった。

やっぱり私には無理だった。ばかなのに届くわけもない夢に向かって無駄に頑張っただけだったんだ。

涙は出なかった。

悔しいとかじゃない。辛いとかじゃない。泣きたくもない。

ただただ、失望。自分への失望。

無駄死にだ。努力ってなんなのだろう。

応援してくれていた人にどんな顔を向ければいいのだろう。

落ちたと伝えるのが、辛いと思った。

落ちたという事実よりも、大切な人たちにその事実を伝えるのが。

悲しむ顔を見たくなかった。

でも伝えなきゃいけない。すでに頭には彼らの悲しむ顔が浮かぶ。

歯を食いしばる。足を一歩前にだして、恩師のもとへ。

「落ちました、ダメでした」

先生の顔は見れなかった。自分が恥ずかしくて。申し訳なくて。

なんて声をかけてくれたのか、今ではもう思い出せない。

でも、「よく頑張ったよ」とか「次があるよ」とかじゃなかった。

ただただ、相槌を打って、傍にいてくれたような気がする。

私にはそれがありがたかった。

 

落ちたという事実に直面するまで、ぼんやりとしか脳裏になかった「浪人」の二文字。

落ちた瞬間にきっと無意識に浪人することを決めていた。

迷いはなかった。もう一度リベンジする。

現役で行けるところに行くという、今までの人生をなぞるような生き方をしたくなかった。

ここで妥協したら、この先も妥協し続ける人生が待っているかもしれない。

もちろん、それは人によるし、大学に入ってから一生懸命努力して、やりたいことを思いっきりやって幸せをつかむことだってできる。

ただ、少なくとも私には大学受験の「負け」を一生引きずる気がしてならなかった。

もう、失望したくない。これは自分を好きになれるかもしれない戦いなのだ。

頑張れたら、夢が叶ったら、そんなに努力できる自分を好きになれる。

怠惰で、人との距離感が分からなくて、体が弱くて。

いいところがなくて、自分が嫌いで。

でもそんな自分を好きになりたい。愛してあげたい。

自分に希望を持つ。未来の私を笑顔にする。誇れる私にする。

たかが、大学受験でと思うかもしれない。

少なくとも私にとっては「たかが」じゃなかった。

自分への失望を、自分への希望にする。

そのために私は19歳を捧げることにした。

今でも後悔はしていない。

私は今、自分に希望を持つことができるようになった。

失望はもういない。