【受験は団体戦の真意】自分一人で闘うわけじゃない

受験期はとても辛かった。終わらない階段を登っているかのようだった。

先が見えず、何度も途方に暮れた。ふとした瞬間に涙が頬を伝うこともあった。

何でこんなに辛いのか。私だけ。どうして。

今思えば、私だけが苦しんでいたわけではないだろう。全国の受験生が苦しみながらもなんとか乗り越えている。

クラスでいつも明るくて笑っている人も家では泣いているかもしれない。弱い自分を他人に見せたくなくて必死に笑顔を作っているかもしれない。

そんなことを微塵に思うことはなかった。

あの子は頭がいい、要領がいいから羨ましい。

部活と勉強の両立がどうしてできるのか。自分の方が勉強する時間があるはずなのにどうして私の方が勉強できないのだろう。

嫉妬の塊だった。

他人が満足に勉強できる環境も羨ましかった。

お金がなくて行けなかった塾。参考書を買うのも遠慮していた。

どんなに勉強しても追い越せない人。解けない無数の問題。

全てが敵に見えた。世界から孤立したような、そんな気分にさせられた。

いじめられていたわけでもない。何か特別に人間関係等で辛い思いをしたわけでもない。

でも一人で勝手に追い込まれて、辛くて、とにかく逃げ出したかった。

だが時間は待ってはくれない。刻一刻と受験が迫る。

果てのない暗い沼に沈んでしまいそうだった。

だが、そんな私が最後まで駆け抜けることができたのは高校3年生の時のクラスメイトの存在だった。

3年生へと学年が上がり、理系のクラスになった。いよいよ受験真っ只中という雰囲気に包まれていた。

部活を引退して誰もが目標とする大学を持ち、そこに向けて走り出していた。

ここでようやく自分だけが頑張っているわけではないことを知った。

あの人も、この人も努力している。懸命に自分の選んだ道に向かって真っすぐに進んでいる。

その姿に刺激され、私も必死になった。

「受験は団体戦」

この言葉は耳にタコができるほど聞いたことがあるだろう。

私自身は何言っているんだ、受験は個人戦だろうと馬鹿にした。

受験を終えるまで正直ずっとそう思っていた。

しかし受験を終えてから気づいたのは、自分がどれだけ周りの人に支えられていたかということ。

一人で闘いに挑んでいたように見えて、実はたくさんの人の思い、願い、気持ちに包まれ背負い込んで闘っていた。

辛い時期に声をかけてくれる先生。応援してくれる友人たち。

言葉を直接交わさずとも伝わってくるエール。

心の支えを知らずに受け取っていた。

浪人してから始めて知る友達、クラスメートの大切さ。

あの子が頑張っているんだから私も頑張ろう。

そうやって励まし合っていたのだろうと思う。

受験は確かに個人戦だ。見知らぬライバルたちと実力を競い合う。

しかし周りを見渡せば必死で机に向かう仲間や支えてくれる大人たちがいる。

一人では乗り越えられない大きな壁も乗り越えられる。

きっとこのときの友達や仲間、そして先生は大切な存在として心に残り続けるだろう。

確かに辛い。涙が止まらぬ夜もあるだろう。

ただ、どうか忘れないでほしい。必死で共に走り切ったこの瞬間を。