世の中不公平。それは誰しもが感じるものだろうと思う。私が強く感じたのは他でもない、大学受験だった。
高校受験で第一志望校に合格できず、第二志望の高校に進学した。大学受験では絶対に成功して、いわゆる高学歴となれるような大学に進みたいと強く願うようになった。
高校に入学すると、周りは高校受験が終わった安心感で空気はゆるゆる。勉強を熱心にしている人を馬鹿にするような人もいた。もちろん全員ではないけども。
私は高校一年生の頃から大学受験を見据えて勉強をすることを決意して、部活も運動部ではなく文化系の部活に所属。アルバイトもしなかった。高校三年間を大学受験に注いで、全てを犠牲にしてまでも良い大学に進みたかった。
ここにはやはり学歴コンプレックスや両親の低学歴、周りと比べてみても生活レベルの低さなど様々な理由があったのだろうと思う。
小学校の時に住んでいたアパートはかなりボロく、家を教えるのもすごく恥ずかしかった。でも隠し通せるわけはなく、どこからか漏れて馬鹿にされることもあった。子どもながらにすごく傷ついたし、そんな暮らしを強いられている自分が惨めでこんな暮らしをする大人にはなりたくないと、両親を軽蔑した。
父はFラン大学卒、母は高卒で両親ともに低学歴。父は潰れそうな会社に勤めていて最終的には給料の支払いが遅れて、そのまま倒産。無職状態になり、今はアルバイトを何個も掛け持ちしている状態。母は遅くまでパートで休みなどしばらく取っていない。
両親の働きのおかげで今の私があるし、高校時代にバイトすることなく受験勉強にのめりこめたし、大学進学を決めることができたのも事実で、感謝はしてる。
ただ両親の仲は悪く、帰宅時間も遅いから一緒に過ごす時間は他の家庭よりは少なくて、家庭環境は良いとは言えない。母は会社が忙しくなったりトラブルを抱えると、私たち兄弟に八つ当たりするなどは日常茶飯事で、何度も何度もなぜ自分がこんな思いをしなければならないのかと涙した。
安定してるときは優しくて、害はないのにどうしても忙しくて余裕がなくなると一気に機嫌が悪くなる、そんな母だ。今も特に変わらない。
父とはもう何年も話してない。完全に家庭内別居状態で、父は家族の誰とも話さない。正直異常だと思う。警察の人に心配されたこともある。(偶然、警察の人が家に来たことがあって)
こんな家にコンプレックスを抱くのは普通かもしれない。この日常から抜け出したくて、必死に勉強した。本当は大学から一人暮らししたかったけど、母が難色を示したことから諦めた。自分の家から通える範囲で頑張れば手の届くかもしれない超難関校である東工大を志望することにした。
しかし東工大はやはり簡単に手の届く大学じゃなかった。寝る間も惜しんで勉強しても模試の判定はE判定。3年生ではD判定。D判定より上を見ることは現役時には叶わなかった。
なかなか上がらない判定結果。現実を突きつけられる度に味わう失望と焦燥。
何度も泣いた。どうしてこんなに自分は不幸なのか。
お金がないのが原因かもしれない。環境が整っていないせいかもしれない。どこかでそう思いたくて、勉強から遠ざかった時期もあった。塾に通えている友達が羨ましかった。環境が整っているのに勉強に取り組まない人が妬ましかった。
このころの私は世の中の不条理さに落胆していた。
今となっては母が家事全般をやってくれたり、恵まれた先生の存在があって十分に勉強に集中できる環境は用意されていたように思う。全然不幸じゃなかった。
私よりもひどい環境で生きている人はたくさんいるのに、自分だけがしんどいと勘違いして美化してたのかもしれない。友達もみんな輝いていて恵まれているように見えただけで、実際どこの家庭でも問題は抱えていてみんなうまく付き合いながら生きているのだと最近感じる。
当時の私は周囲を見渡す力が今よりなくて、自分だけを見つめていた。
他の人が羨ましくて妬ましくて、ここから抜け出すために必死だった。
東工大に魅了されて志望したのも事実だが、実際には以上のような理由から私は東工大に合格して高学歴を手にし、より高いレベルで生活を営みたかったのだと思う。
友達たちのような「普通」の生活がしたかった。
ただそれだけが私の原動力だったのかもしれない。
受験は巨大な格差地獄である。高学歴は高学歴を生み、低学歴は低学歴を再生産する。この負のスパイラルを抜け出すことができるのはたった一握りの人間のように感じる。機会がない、環境がない、意志が生まれないのどれかに当てはまってしまうと今いる状況を変化させることは難しい。
もちろん必ずしも高学歴がいいとは思っていない。高学歴だからといって幸せになれるとは限らないし、低学歴でも人生を豊かにして楽しんでいる人は大勢いる。
だが私はこう思う。高校生の全員がはっきりとした進路を思い描いているわけではない。夢も目標もなく、ただ何をすればいいのかわからないまま日々を必死に生きている人もいるはずだ。
そんなときに学歴があれば、良い大学に入ることができていれば、未知の世界を知って選択肢が広がるかもしれない。将来やりたいことができたときに、役に立つかもしれない。
選択肢を増やす手段として受験を捉えている。
先述したように、格差は格差を生む。それはすぐには変わらないだろう。だがこのときに感じた格差を悔しさや情熱に変えられたからこそ、今の私があることに変わりはない。
あの頃の自分が抱いていた感情や思いは段々と薄れていく。きっといつしか忘れてしまうかもしれない。でも人生で失ってはならない大切なものだと強く思う。
人生で無駄なものは何もない。受験が教えてくれたのは言葉にできない何かだった。