才能なんてありゃしない自分を呪う
小学校のときも。中学校のときも。高校の時も。
「○○ちゃん、頭が良くていいなあ~~!」
「そんなことないよ~」
幾度と繰り返された会話。確かに私は成績は良かった。クラス順位1位を取ったこともある。
...自慢じゃないよ!
友達から勉強を教えてと言われることは多々あったし、先生からも褒められるような優秀な生徒だった。
確かに外野から見たらそうなのかもしれない。ゴリゴリのメガネっ子で見た目も真面目ちゃんだったし!
クラスメートからしたら頭が良いように見える私が羨ましくなる瞬間もあっただろう。
先生からしたら頭の良い優秀な生徒と映っただろう。
しかしながら、私は決して!決して優秀ではない。むしろ要領が悪くて、何度も遠回りするような生き方をしてきた。
英単語を覚えるにしてもすぐに忘れてしまう。毎朝電車の中で必死に覚えようと頑張ったのに、全然覚えられない。
単語帳は人よりボロボロ。なのに点数取れないとか全然あった。なんでやねん!
定期テストで詰め込んだものも、終わればきれいさっぱり消えてなくなる。だから定期テストでは成績上位を取れても、模試では点数が取れなかった。短期決戦には強いけど長期には弱いってやつ。
受験に関しても高校受験、大学受験ともに第一志望不合格喰らってる。挫折しかねえ。
覚えたそばから忘れていく自分を呪ったし、努力した時間が消えていく実感があった。
人よりもできない自分が心底許せなかった。結局は才能かよ。
それを最初にはっきり自覚したのは中学のとき。どれだけ努力しても抜かせないやつっているんだよね。私より勉強時間が圧倒的に少ないはずなのに、なぜか順位上のやつとか。
帰宅部の私が運動部に勝てないことある??
有り余る時間がある私が、余裕なくて忙しいやつに勝てないことある??
圧倒的な努力を持ってしても、才能には勝てないんだ。
未だにナゾすぎる。いつ勉強してたのか聞きたいわ。
どう頑張っても意味ねえじゃんと、やさぐれた若き頃。(今も若いだろというツッコミは拒否!!)
効率的に学習できる要領の良さがあるわけでもなく、暗記が得意といった才能があるわけでもなかった。
どちらも欠けていた。凡人よりもできないやつ。
自分のことが嫌いだった。努力しても叶わないことってあるんだ。何度も希望は絶望へと変わった。
才能どころか環境も整ってねえ!
才能がないのは自覚しつつも、何とか食らいつこうとしていた私。
高校のときは高校受験に失敗したというのもあって、大学受験は成功させてやる!とメラメラに燃え上がっていた。
しかしふと世間を見てみると、いわゆる高学歴になるには
才能or家庭環境
が超大事。
塾に通えるような金銭的余裕がある家庭かどうか。
自分の部屋が与えられて、勉強机とイスがある家庭かどうか。
どちらも最初はなかった。最初は。
勉強机とイスはむちゃくちゃにお願いして手に入れた。ゲットだぜ。。。
しかーし。万全とは言えない。何にせよクーラーないから、夏は灼熱地獄・冬は極寒という現代に生きているとは思えん環境。加えて自室なんてないから親と兄弟の生活音駄々洩れ。
笑い声聞こえるとイラっとする始末。心の余裕なんてなかった。
もちろん金銭的な面から塾には通えないし、私立に行くお金もない。大学に行くには自力で国立大学に受かるしか方法はなかった。
そうそう、東大生の親の6割は年収950万円以上らしい。
うそやん。。。結局は金か。。。うちの親は2人合わせても500万ぐらいだぞ。しんど。
学歴は買えるらしい。
才能もない。金もない。環境も整っていない。
生まれ落ちたその瞬間に人生ってある程度決まってんのかよ。
人生イージーモードで、はっちゃけ笑う大学生のインスタ見てメンタル削られていく。いいなあ、ハードモード装備の私は何してんだろ。
止まらぬ涙を拭いながらも高校生の私は机に向かっていた。
努力は裏切らないこともあるらしい
これ、実は私が最も言いたくない言葉なんですけどね。おいって思いましたね今。
「努力はたまーに実る」らしい。
それは才能も金も環境もなにもない私が、一浪して東工大に合格したから保証できる。
もちろん合格できたのは努力だけではない。当日体調不良にならなかったことや、席が良かったなどの運もある。(席運に関しては模試の頃から神だった)
「努力は必ず実る!」なんて強い言葉を使いたくない。だって必ず実るわけないじゃん。
運動音痴の私がどんなに努力してもウサイン・ボルトに勝てないのは明白。え?例が極端??
それはさておき、努力なんていつも裏切るんだよ。あいつ何者なんだ!!許さないぞ!!
努力したから行けるだろうと勝手に期待して、勝手に落ち込んでるだけ。
たかが凡人の努力が天才を超えるわけないやろ、と思っている。
でも。それでも。。たまに実るんだ。だから成功者は「努力しろ」って言うんだよな。
「できない自分」を認め、抗い続けろ
才能なんてない、できない自分と向き合い続けるしかなかった。
勉強しなくちゃいけないのに、なんでYoutube見てんだろ。なんで漫画読んでんだろ。
そんな罪悪感に毎日襲われた。もはや私って才能もないただのクズなんか。。
ただ、マイナススタートの私が東工大に受かるまでの努力ができたのは
「自分ができないやつ」だと自覚していたから。「自分の弱さ」と向き合い続けたから。
多分だけどさ。私って頭いいんだわ!ウフフ!とか思ってたら、自分に甘えてそこまで努力できなかったかもしれない。
だって軽く勉強すれば点数取れちゃうなんて、努力の有難さがわからんよね。
頑張った実感がないから、成功体験もない。適当にやっても程々で生きていけるんだから。
。。。とまあ半分は天才をひがんだ負け惜しみですうう。すみませんねえ!
がむしゃらに机に向かい続けた私の努力は偶々、日の目を見たのでよかった。
できない自分を認めて抗い続けたからこそ今の私がいる。それだけは本当。
だからといって私は人に努力せよとは思わない
社会の中にはこんな人がいる。
「自分の不幸を恵まれない環境のせいにすんな、努力しろよ」と見下す人。
「なんで勉強しないの?」と自分基準にしか考えられない人。
底辺から這い上がった成功者が「圧倒的な努力」を成し遂げてしまったからこそ、人にも同じような努力レベルを要求する。
「家庭環境のせいにすんな、僕は家庭環境が劣悪でも東大に合格できました」
それはわかる。すごいねえええ。とってもすごいねええ。
しかし人は一人一人違う。努力できる限界も、体力も、環境も、人間関係も違う。
みんなが当たり前のようにハイレベルな努力ができるわけじゃない。
だって言うじゃん。働きアリの中にも怠けているヤツがいるってさ。
人間の世界も同じ。努力できなくていいじゃない。楽に生きてもいいじゃない。
努力ができなくて、環境のせいにしちゃだめなの?愚痴っちゃだめなの?逃げちゃダメなの?
言い訳をすることも許されないような不寛容な社会では、なんて息がしづらいのだろう。生きづらいのだろう。
一人一人の得意は違うのに「勉強ができる」ことが一番もてはやされる社会だから、「努力=勉強」になってる。もしかしたらスポーツが得意かもしれない。芸術関係に才能があるかもしれない。
勉強という名の努力を私は人に押し付けたくない。好きに、自由に生きられればそれで良くない?
自分に求めるものと他人に求めるものを混同しすぎじゃないかと思ってしまう。
私自身は、努力できる自分が好き。できないやつだと認めながらも、抗い続ける自分が大好き。
でも、他の人には別に求めんって。なんでそんなに頑張ることを強制するのかわからない。
頑張らないことはそんなに悪いことなのかな。他人が何しようが、どう生きようが自由じゃんね。
え、話逸れすぎだって?
まあ、そうですよね。ごめんって。
私がここで言いたかったのは「できない自分だと自覚しているからこそ、頑張れるんだ」ということ。
才能なんてない。これっぽっちも。でも、だからこそ頑張れる。ドMだって??違うし!!!
最終的に才能があるやつには勝てない世界もある。
ただ、才能があるやつにも勝てる世界はあるんだよ。
受験を筆頭に、そんな世界は山ほどある。
スポーツとか芸能とかマジで頭使う研究系とかは違うかもだけどさ。
アインシュタインには勝てないって。ボルトにも勝てないって。
でもそれは一部の世界だと思うんだ。才能があるやつにも勝てる世界で勝っていくさ!!
異論は認める!
これからもできない自分に落ち込むことはあると思うけど、なんとか抗い続けて見せるぞ!