大学で真面目に学ぶものが泣く世界で生きるのは苦しい

こんにちは。コロナウイルスにより自宅待機の日々を送っています。大学に入ることもできず、バイトもできず、ただただ勉強しろと言われているようです。。

時間が沢山ある中で、今日は就活について調べていました。

というのも私自身は大学院に行くため、就活をするのはまだ先なので何も情報収集をしてなかったのです。大学受験が相当大変だったので、それ以上に大変なことはないだろうと踏んでいたのですが、調べてみると大学受験以上に辛いという人も。

今日は就活について少しだけ調べただけですが、ちょっとだけ感じた違和感について書きたいと思います。

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就活でアピールするのは何なのか

まあ、就活なのでメインはやっぱり面接なんですかね。

面接では自分アピールや今までで一番頑張ったことなどを聞かれて話す機会が多いようです。

そこではアルバイトやサークル、留学やインターンなどの大学以外の学びの場で頑張ったことが評価される世界が広がっているわけです。(もちろん完全に全部そうではないことも承知の上)

例えばサークルの副部長が大勢いるとか、就活のためにボランティアをするとかは話題作りのためにやっていて本来の目的を忘れかけている大学生もいるかもしれません。

でもそれはその大学生のせいではなく、就活の制度自体がそうなっており、企業側もそれを求めてしまっていることが原因なのでしょうか。はたまた、大学生側が他者と差別化を図るために自然と行っていることなのでしょうか。

いずれにしても、このようなことを聞くと、私も就活のために何かを始めなければならない、、アピールできるものを作らなければならないといった気持にはさせられます。

大学で真面目に学ぶ学生はアピールポイントを失ってしまうのか

大学は簡単に言えば「あらゆることを学ぶ場」であることは明白です。

もちろん勉強だけではないでしょう。上記に挙げた大学以外の場での学びを深めるのもこの時期ならではだと思います。

しかし大学では小中高で学んできたことの集大成だと思うんです、ほとんどの人にとっては。今までの学びをより深め、専門性を高めるのが大学で行われるべきものだと今日まで認識してきました。大学に入学してから、真面目にそういった授業を受けて勉強してきた人はもちろんいます。ただ、就活ではそれに名前を付けてアピールすることが難しくはありませんか。

なんだか、大学で一生懸命勉強してきた人は評価が適正にされないような気がして、ちょっとした違和感が私の中に広がるのです。

この違和感の正体は、評価のされ方が大学に入る前と後で決定的に変わるから、というのが大きいのかもしれません。

高校までは学業の成績で評価され、大学受験ではより高い偏差値の大学に入ることがよりよいとされてきました。しかし大学に入ると今までのこれを学べばよいという学習指導要領が無くなり、受動的な学びから自らが何を学びたいのかといった能動的な学びに代わるのです。

与えられた学びだけではもう評価されずに、より広がった学びの場に自ら飛び込むことが急に求められることになります。それについていけず、今まで戦ってきたものとのギャップを感じる大学生は少なくないはずです。

違和感を改善するにはどうすればいいのか

評価の基準がいきなり変わるーー

これが私の感じたちょっとした違和感の正体かもしれません。

これを無くすには、受験受験と子どもたちを追い詰めて勉強だけをさせるのではなく、彼ら彼女らに豊富な経験を幼少期~高校生までさせるべきだと思うのです。缶詰状態で勉強させたとしても残るのはきっと、あの頃の勉強は無駄だった、貴重な青春時代を失ったと感じる虚無感のみ。

自分で学びたいものを学び、それが実現できるように支えられる社会を構築する。大学でいきなり好きなものを学べ!といわれても何をすればいいのか、ハードルが高すぎます。子どものころから「これやりたい!」という思いを持たせ続け、ハードルを低くする。それが今必要なことなのかもしれません。

社会全体をすぐに変えることは不可能でしょう。また、一人ひとりがすぐに変わることも同様に難しいかもしれません。でも個人が変わるのは社会が変わるよりも容易いことです。自分の世代ではなくても、自分の子供たちの世代がよりより社会になっているように...そう思わず願ってしまう。

そんな未来を目指して、自分を奮い立たせて前に進んでいきたいものです。

つい、書き殴ってしまいました。まだ世界を知らぬ大学生の戯言でした。。