大学受験は人生を180度変え得る最大のチャンス。
高学歴になれば華やかな人生が待っているという確証はないものの、学歴があるなしでは選択肢の数が変わってくる。
私自身、東工大を志望したのは、理系最高峰の大学でありそこで勉強してみたいという気持ちからだけど、
その真意を深追いしてみると、生活水準を上げて快適な生活を送りたいという思いがあるからだと気づく。
今の世の中はどうしても学歴で物を見られることが多い。それはしょうがない。
学歴があれば、その大学に受かるレベルの頭の良さを持ち合わせているということが簡単にわかるからだ。
数多の人がいる中で、判断軸として容易に使えるのは学歴だと思う。
だからこそ私たちは学歴があるなしで人を判断してしまうこともあるし、学歴コンプレックスという言葉があるように、自身の学歴に引け目をとってしまうこともある。
学歴を重要視している人たちにとって、学歴がないことは悪であり、努力できないというレッテルを容易に貼ってくる。
実際は学歴があるなしは、努力できるできないを見分ける方法ではない。
能力があっても家庭環境に恵まれなかった人
金銭的問題で大学進学を諦めた人
地方住み等でその機会すらなかった人
女の子なんだから勉強する必要なんてない、大学に行く必要なんてないと大人から機会を奪われた人
高学歴を手にするにはこれらの環境下にいなかったか、自らの力で乗り越えた人だと感じる。
だから決して低学歴だから努力できない、能力がないわけではない。
それでも社会は学歴で物事を見ることをやめることはできない。
高学歴が高学歴を生み、低学歴が低学歴を再生産する社会なのに。
人は等しく平等に生まれているわけじゃない。生まれ落ちたその瞬間にある程度の運命は決まってしまう。
さらには女性であるということだけで、機会の損失が腹立つほど多い。
男女平等を歌いながら、未だに私たちの根底でくすぶり続けている女性差別。
女性が狙われる事件の多くは、女性を無意識に下に見た男たちの行動でもあると思う。
女性である私自身も、女性の方が下であるという価値観から抜け出せていない。
女性であるという、日本に生まれしものの運命を少しでも変えるために、
後の人生で少しでも傷つかないように、
学歴を入手することは私にとって必然だった。
学歴がないものの声を聞いてくれない人がいる以上、そいつらを黙らすためには最低限の学歴は必要だった。
運命に抗うため、女性であることに誇りを持つため、私は高学歴を手に入れたかった。
そうして必死に必死に勉強して何とか合格することができた。
あのとき頑張らなかったら、諦めていたら、また違った人生が待っていたはず。
それが良い方か悪い方かはわからない。でもきっと、選択肢は今より少なくて、機会すらなくて、
自分の環境や運命を嘆き、才能なんてないと自分の可能性を信じることはできなかったはず。
確かにこれといった才能はない。秀でたところがあるとは言えない。賞を授与したこともない。
でも、東工大に合格できたという事実は変わらない。入るためにあんなに努力することができたという自信は今の私を支えている。
大学受験という好機を活かせたからこそ、今がある。
諦めちゃいけない。高い壁だったとしても、必死に挑戦してみることは無駄なんかじゃない。
大学受験は等しく与えられる最大で最後のチャンスである。
環境がどんなに悪くても、努力することを忘れなければいつかドアは開いてくれる。
自分に諦めるな。今いる環境に慣れるな。上を見上げて生きていけ。
環境を変えるためにはまず自分が変わらないといけない。
ピンチはチャンス。大学受験を生かすも殺すもあなた次第。