【合格体験記】自称進学校出身の私が東工大に受かるまで

  • 塾・予備校通わずに東工大・早稲田合格
  • 家庭教師も無し
  • プレ模試の偏差値46から1年で偏差値73へ
  • 地方自称進学校から合格
  • 二次試験の合計点数を1年で+140点

自称進学校から浪人を経て、東工大へA判定で合格しました!

ちなみに私はこんな人です。↓の記事に詳しく書いてありますので是非。

東工大は最難関大学の一つです。そこに行きたいと思っても自分の実力から諦める人がいるのではないかと思います。

私も正直そうでした。自分なんかが目指していいのだろうかと何度も頭をよぎりました。

しかし合格を手にすることができました!!

合格発表時の光景は生涯忘れることのできないと思います。

今回は私がなぜ東工大を志望したのか、そしてどんな苦悩があったのか中学時代から振り返って合格するまでを描いています。

私も受験当時、合格体験記や受験体験談等をネットでめちゃくちゃあさったのですが、

それを読んでも元々頭良かったやつやん!とか、有名私立やん!環境良すぎやん!とか当時思ってしまって、、、(嫉妬です笑)

そこから劣等感に悩んだ時期もありました。その辺のことも書いてあります。

受験生の中にはこんな人がいると思います。

  • 自称進学校から東工大へいけるのか
  • 自分が東工大(東大や旧帝大)なんて目指していいのか
  • どんなモチベーションで勉強していたのか
  • なんだかんだいって元々頭がいいんじゃない?と思ってる方

みたいな疑問に答えつつ、東工大に合格するまでを書きます。

この記事を読んで、

僕も私も東工大はもちろん、東大や京大、旧帝大や自分が目指すには無理がありそう...という大学へもしかしたらいけるかもしれない!

と思ってもらえたらうれしいです。

最初から何でもできる人はいません。

きちんとやるべきことを適切な方向で適切な分量を自分で分かって実行すれば、どんな道も開けます。

とりあえず、目標は高くても良いんです。目指すことやその過程が大切なんです。

※ずっと放置してるんですけど、まだ途中なので。。。中学時代が内容濃いめになってます笑
 正直言うと、合格体験記としては高校時代から読んでもらえればいいと思います。暇な方は是非中学時代からどうぞ笑

(2024.3.17追記)ようやく完成した(何年かかってんねん)

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頑張ったのにダメだった中学時代

小学生のときは割と勉強ができた方だった(頭がいいとは言っていない、努力ゴリ押し系)。ここで自分はできるのだという自己肯定感が、大学受験の時に頑張ったモチベーションへと繋がっている。

中学受験をする組とは比べものにならないけど、そこそこ勉強は好きで本を読んだり、国旗を覚えたりするのが好きだった(変態や)。
自分が成長しているという感覚が欲しかったのだ。退屈な毎日だけど、それでも少しでも昨日よりは成長していたい。頭が良くなっていたい。加えて勉強で置いて行かれる感覚がとてつもなく嫌だった。
運動はできなくても腹が立たなかったのに、勉強ができないのは本当に悔しかった。自分が頑張ればできると信じているからこそだろう。運動は最初から天性のものだと思っていたから、どれだけできなくても何とも思わなかった。

時は過ぎ、中学校に入学した。そこで現れたのは定期的に行われるテストだ。
今まではなんとなくの位置づけだった頭の良さが、はっきりと数字になって目の前に突きつけられる。自分の立ち位置が非情にもわかってしまう。これは私にとっては最初の挫折だったと今では思う。

どれだけ努力しても、学年1位にはなれない。あらゆる犠牲を払っても、勝つことのできない人がいる。

中学時代は部活に明け暮れる人が多い中、私は帰宅部だった。運動もできず、文化系の部活もこれといっていいのがなく、気づいたら帰宅部になっていたパターン。
というのは建前かもしれない。部活に入るのがただただ怖くて逃げたのだ。昔から人付き合いは得意な方ではなかった。周りの友達に気を遣うか、気を遣わせるか、人によって付き合い方を変えていたから。それが苦しさを生んでいた。

部活に入らなかった私は、部活に励んでいる人のように何かに熱中して取り組むことはなく、ただ淡々と過ぎていく日々を何もせずに眺めてた。当時を振り返っても、何をしていたのか覚えていない。ゲームとテレビにまみれた生活をしていたのだろう。

時間を持て余したからこそ、テストの前に勉強する時間は他の人と比べて大幅にとることができる。少なくとも3週間前からは本気を出して学校から配られたワークに取り組み始めていた。
成績も上位を狙って努力を積み重ねていた。サボったときは罪悪感を抱く。たかが勉強ごときでと思うかもしれないが、本気を出して取り組んでいたのだ。

「最上志向」の資質(ストレングスファインダーという分析による資質、強みの一種。一番上を目指して頑張るという特徴がある)を持つ私は、学年1位を目指して頑張った。部活に入ってないからこそ、時間は無限にある。1位は取れるだろうと思っていた。

しかし現実は甘くなかった。1位どころか、5位以内にも入れない。学年の人数は300人。いつも10位前後で、3年生になってからはどんどん落ちていき、20位前後を取ることも増えた。

いい方やんって思ったかもしれない。ただ、思い出してほしい。

さっきも書いた通り、「帰宅部」でめちゃくちゃ時間ある中でこれ。
特に趣味とかがあるわけでもなくこれ。結構必死に勉強してこれ。
問題集を何周も何周もしてこれ。

地頭力とか関係のない暗記科目(社会と理科)は、努力でなんとか高い点数を毎回狙えていた。ワークにある問題を全て覚えれば点数が取れるから。

一番記憶に残っているのは社会のテストで100点か!?って思ったテストで、98点。
漢字をミスして失点した。
今でも鮮明に覚えているほど、悔しさでいっぱいだった。

こういう些細なミスをするタイプなのだ。どれだけ頑張っても100点を取れない。要領が悪くて、とにかく時間を費やしてしまうが、本番にも弱いから努力が発揮されない。今も自分の要領の悪さに嘆くことがある。

そして国語・数学・英語という主要3科目は本当に苦手だった。問題集を何周もしようとも、本質を理解していないからか、高い点数を取ることが出来ない。ライバルたちと差をつけられたのは、この3科目だった。

これが後の高校受験失敗へと繋がっていく。

部活バリバリやっている人の方が順位が高い。
沸き上がるなぜなのかという疑問。羨ましさと嫉妬。

勉強時間なら私の方があるはず。努力も私の方がしているはず。
そういう考えから抜け出せず、ただ彼らを妬んでばかり。
そんな彼らは模試でもしっかりと点を取っていく。一方の私は模試の方が点が取れず、順位も低い。

これには本質を理解しているかどうか、その場限りの知識だけを詰め込んでいるかどうかが影響しているのではないだろうか。
いくら暗記したって、脳には限界があるし覚えたそばから忘れていく。

だから私のように、ただただ無理やり暗記を繰り返しただけでは成績が上がらないのは当たり前の話。

それを当時の私は知る由もない。
親は頼れない。先生も勉強方法までは教えてくれない。教えてくれる大人はいなかった。

高校受験の失敗は必然的だった。

自分の落ち度を見直すよりも、彼らの才能に憧れた。
地頭力のせいだ。才能がないからだ。いくら頑張っても無理なもんは無理なんだ。

そう決めつけて、現実逃避をしたかったのかもしれない。受け止めきれない事実から目を背けたかった。

高校入試での挫折

そんな成績が向上しない中、私は県で4番目に頭のいい公立高校を第1志望として頑張り始めた。

自由な校風に憧れたことや、頑張れば私でも入れるかもしれないという思い込みからだった。

塾に通わずとも何とか上位の成績は残せていたし、高校受験も塾に通うという選択肢はなかった。自分で良さそうな参考書を探して使っていた。

塾を単なる学校の延長と捉えていたから、この選択は妥当だった。

しかし高校受験における塾は学校の延長ではない。圧倒的な情報量が何もしなくても得られ、大量に問題演習ができ、気軽に頼れる大人が身近にいる。
大学生で塾講師のアルバイトしたとき、この環境は高校受験において超重要だったと気づいた。塾は本人の能力の有無にかかわらず、受験結果に多大な影響力を及ぼす存在である。

受験は情報戦だ。よい教材はどれか、今の自分にあっている教材はどれなのか、過去にはどんな問題が出ているのか、どんな問題が出易いのか。
努力が実るのは、正しい方向で適切な努力量がなされたときだけだ。間違った方向に努力しても無駄に終わる。レベルが高すぎる問題集に取り組んで無駄な時間を過ごしてしまうように、情報がなければ努力は無に帰ってしまうことがある。

まだ子どもの中学生が的確な情報収集するのは難しい。情報収集に時間を取られ、勉強時間は削られることもある。
当時は今のようにスマホが普及しておらず、中学生は基本ガラケーで高校生の一部がスマホを持っている状況だった。
私がスマホを持っているわけもなく、情報収集は困難を極めた。そもそも、情報収集が大事だということすら知らなかった。

何をやればいいかわからない、誰にも相談できない、成績は下がる一方...。

レベルの高い参考書や問題集に手をだして、その場限りの知識だけを身に着けていく日々。

意味がないと気づくのは高校受験に失敗してからだった。

模試でもD判定が当たり前になって、親も先生からも無理だと思われながら迎えた受験。自分なりに力を尽くした。できることはすべてやった。

結果発表当日。同じ高校を受験した同級生が居なかったし、親も仕事だったから1人で高校に向かった。

発表時間よりも少し遅れて到着。既に歓声が沸いている。自分の番号はあるだろうか。受験票を握りしめる。

しかし結果は不合格私の番号はなかった。ショックという感覚よりも、やっぱりという感情が先に芽生えた。模試の判定は覆らなかった。逆転合格とかいう奇跡は起こらなかった。

負の感情に包まれながらも、時間は進んでいく。次の受験が直前に迫っていた。

当時は前期後期型の入試だった。前期で落ちても後期で再チャレンジできる。志望校を変えることも、前期と同じ高校を受けることも可能であった。
落ちた直後は「無理かもしれない、でも諦めたくない。1年間目指し続けた高校だから」と志望校はそのままにして出願しようとした。

母に一応報告しておくか。
母は私の受験に関して何も口を挟んでこなかった。勉強しろなど言われたことは一度もなかった。
いわゆる放任主義というやつ。そんな母なら認めてくれるはずだ。

しかし後期の受験校には否定的だった。後にも先にも、この一度だけ。
母が認めてくれなかったのは。応援してくれなかったのは。

「もう一度受けても無理でしょ」

その言葉が傷ついた心に深く突き刺さる。傷口を広げてくるやんけと隠れて泣いた。目はパンパンに膨れ上がった。

不合格というショックも相まって、正確な判断ができなくなっていた私は
「じゃあ、もういい!レベル下げるし!」と啖呵切り、勢いで難易度を下げた高校を受験することにした。
選んでいる時間的な余裕などない。一度夏に説明会に行った高校にしておくか。可もなく不可もなくだし。今考えれば失礼すぎる。

志望校が決まった。先生に報告しなければ。

「先生、この高校を受けようと思っています」
「...確実に受かりたいならもう少し下げた高校がいいかもしれない。公立高校に行きたいなら尚更。ちょっと考えてみて」

思っていた言葉と違う言葉が返ってきた。まさか否定されるとは。
私の実力はそんなにないのか。自分を甘く見すぎていたのかもしれない。努力は実らないという言葉を体現したようだった。

ただ、これ以上レベルを下げたくないという意思が強く、自分が希望した高校を受験した。

神様も私をそこまで見放さなかったのか、入試本番は満足する出来だった。模試も含めて今までで一番できたんじゃないか?と自信満々。

ただ、これで合格できなかったらどうしようと不安にも襲われた。

合格発表日に恐る恐る掲示板を見に行くと、自分の番号があった。初めて見つけた自分の番号。番号がないときの心情を知っているからこそ、余計に嬉しさが増す。自分の受験票と掲示板を何度も目で往復した。見間違いだったらどうしようという不安によるものだけど。

そうして確認した番号。合格したんだ。
私に実力はある。志望校は下げたけど、このレベルにまでは来ているんだと少し安心した。
この高校からは行けないような高いレベルの大学に行こうと決心したのも、この時だった。

クラス全員の進路が定まりだしたころ、耳に聞くクラスメイトの進路先。
自分よりも定期テストで順位が下だったクラスメートが、私より上の高校を行っているのが悔しくてたまらなかった。なぜ私は落ちたのだろう。成績が上がらなかったのだろう。情けなくて、辛くて、悔しかった。

この気持ちをバネに、新たな目標に向かって今まで以上に努力しようと胸に誓った。

高校入学後~

そんなこんなで入学した高校。

中学の時の失敗を繰り返したくない。この思いが強くあった。
定期テストはそこそこ出来るけど模試になると全然できない。。みたいな人にならないために、大学受験ガチ勢の私が最初にしたことは3つ。

  • 第一志望の大学を決める
  • 参考書を選ぶ
  • 勉強方法を学ぶため、先人たちの体験談を見る

まあ偉そうに書いてるけど、勉強プランと参考書選びは完全に失敗した。辛いな。私と同じような過ちをしてほしくないなと思っている。まじで。

この3つ全てに共通して必要な力。それは「情報収集力」である。

情報を集めよう

中学の時も情報収集していたつもりだったけど、私にとって真に必要な情報を得られていなかったのだと思う。自分の身の丈に合わない高校を目指していたから、そのレベルの勉強が必要なのだと思って最初から難しすぎる勉強をしていた。基礎が身についていないのに応用問題に手を出していた。

しかしこの失敗は高校でも繰り返してしまったという反省のなさ。なかなか気づきにくいところではあるんだろうけど、きちんと情報収集して今の自分に必要な勉強は何か、どの参考書を使うべきかを認識できていたら浪人しなくてもよかったかも。(たられば論を使う人)

今でこそ、高校生がスマホを持つのは当たり前の世の中になっているけど、私が高校生になったころはそうではなかった。スマホをゲットするまで、親を説得し続けゲットした(なお、1か月くらいかかった)

。。。という話は置いといて、とにかく「情報収集力」があれば大学選びも参考書選びも間違いにくくなる。さらに私のような大学受験に失敗or成功した人の話をネットで探して見たり、高校で開かれるような卒業生の講演会などで話を聞くことは、大学受験成功の可能性をあげると思う。

大学受験体験談を後輩に話すということは、後悔したことや良かったことを後輩のために伝えたいという気もちがあるからだ。先人の失敗を繰り返さないように教訓として、成功方法は同じように歩めばいいのだという安心材料として、積極的に情報を得よう。

情報過多の現代だからこそ、成功に必要な情報はこれでもかと溢れている。
いや多すぎるからこそ、必要な情報が埋もれつつある。最初に軽く大学受験や参考書を調べて終わりとするのではなく、常に情報を得るために行動するのが大事だと思う。

・志望校の出題傾向
・英語が得意、数学が得意→入試方式はどれがいいのか、どの大学が受かりやすいか
・世の中的には王道と呼ばれている参考書が合わない→他にどの参考書を使えばいいか

特に参考書に関しては、同じような悩みを持っていた先輩はいるはず。その人たちの声を拾い、自らに還元すること。

「現状を把握する→情報を集める→得た情報を基に実践してみる→効果を検証→現状を把握する」の繰り返し。これは大学受験において最短で成功するには必須だろうし、大学生や社会人になっても求められると考えている。

先人たちから学び、少しでも成功の可能性をあげていこう。

第一志望の大学を決める

私の通っていた高校は公立高校だったからか、進学するなら国公立だ!という国立至上主義が渦巻いていた。

中でも同じ都道府県に属する某国公立大学を目指す人がほとんどだった。(教師陣の圧と卒業生実績から)

なんとなく、その風潮に抵抗があったことや、同学年の中で一番上の大学を目指してみたいという考えから行きたい大学探しを始めた。

ここで自分の実力に妥当な大学を選ばなかったのは、自分で自分を褒めてあげたいなと思う笑

もちろん、その分苦しかったし辛かったし、何度も逃げたかった。

叶わないかもしれない。努力が無駄になるかもしれない。
それでも耐えた先に見えた景色は、自分が思っている以上に素晴らしかった。

実力不相応の学校に入ると辛いとかいうけど、大学に関してはそんなことないと言っておこう。

まず金銭的に国立がいい。そして穏やかな人が多そうな大学(われ陰キャ)。その中で最初に思い浮かんだのはお茶の水女子大学。ここはオープンキャンパスにも行った。
なんだか格式の高い雰囲気に包まれ、国立女子大としての威厳を感じた。。

1年生の夏くらいに志望大学を書くことになって、とりあえずお茶の水女子大学を書いた。

首都圏にある高校に通っていたので、後の候補は横国、千葉、筑波とか。横国と千葉大はオーキャン行った。
横国は駅から遠すぎて嫌になっちゃって、千葉も魅力を感じず。。(ごめんって)
千葉なら園芸学部行きたかったけど、なんとなく進路や研究室が絞られるかもしれんと思い外した。

筑波はオーキャン行かなかったな。筑波考える前に東工大志望にしたため。

そうするといよいよ大学がない。地方旧帝大(東北とか阪大とか)が恐らく一番いい目標だったと思う。実力的に。
無茶苦茶に頑張れば行けるかもしれない。ただ、地理的に通えない。

首都圏の大学って不便よね。横国・千葉・筑波の上が東工大・東大という超難関大学になるから。。
その間が欲しいのに!!と思ったけど、ないもんはない。

そして当時の私は東工大の存在を知らなかった。国立大学を調べていくうちに、なにやら横国・千葉・筑波の上に東工大という大学があって、理系総合大学とのことだった。

まあ、ほぼ一目ぼれ。かっこよすぎた。私の性格ドンピシャ。
頭いい子って大体自分の成績見せびらかすけど(言い方)、私それが嫌すぎて隠しまくってたから、東工大という何か頭いいのに知られてないという、面白さというかカッコよさがツボに入った。
そして理系だけっていうのも個性強くてすき。

東大京大に次ぐ大学だと知っても、恐らく難しいだろうと思っても、それでも東工大行きたいという思いが強くなった。

オープンキャンパスにも行ったけど、やっぱりここだと思った。(恋は盲目状態)

誰にも言えないけど東工大いけたらいいな。。。くらいのテンションでいた。

東大はさすがに無理だと思っていたので、東工大なら。。いけるかな。。みたいな気持ち。

ここでまさかの出来事が1年生の秋に。

ある先生にどこの大学目指してるの?と言われ、まだ決めてないと答えると、東工大とかどうよと言われた。(多分冗談)

私じゃ目指せないです~とか答えながらも、その発言自体が嬉しかった。

今思えばこの言葉が東工大を明確に目指すことになったきっかけになり、その後東工大に合格するまで背中を押し続けてくれた。

この出来事が起きる前までは、東工大に行きたいという自分と東工大は実力的に無理だと思う自分が心の中で葛藤していた。

それを打ち破ってくれたあの先生には頭が上がらない。

自分が無理だと思ったらそこで終了だけど、誰かが自分を肯定してくれて応援してくれるのはとても励みになる。それは友達でも先生でも親でもいい。そういう存在は受験するときに精神的に楽になる。

私は人に恵まれた。友達も先生も応援してくれて、辛い受験勉強を乗り切れたのだと思う。

参考書を選ぶ

続いてのステージは参考書・問題集選び!

そのためにもまずは敵を知るところから。

時期的にオープンキャンパスは終わっていたので来年行く事にして、東工大の入試を調べたら…驚き!

センター(共通)は足切り、数学300点・英語化学物理150点。

しかも数学3時間ってどういうこと??

とビックリ。理科は好きだったけど、数学は苦手意識があった。
その数学が300点だとは!

東工大のかっこよさってここにあり。とにかく特殊すぎる。

そんなこんなで受験勉強を開始した。が、何をすればいいのか分からん。参考書や問題集は多すぎるほどあり、ネットでも賛否両論があったり...。

とりあえず買ってみた青チャート。数学300点という配点からして、数学から攻めるという計画は間違ってなかった。が、青チャートを選んだのは大間違いだと後悔。数学得意な人ならいいのかもしれないけど、そうではない凡人は青チャート選んじゃだめだと思う。量も多いし、解説少ないので無謀すぎる。

何をすればいいのか、どの参考書を使えばいいのか、、全然わからん。。。

ここから私の受験勉強はスタート。

勉強方法を学ぶため、先人たちの体験談を見る

塾に通う余裕はなく、通信教材もやったことなかったので、参考書や問題集で乗り切ろうと決意。

そして、合格記を沢山読んだ。そんなことより勉強しろよって感じだけど

でも、どのように勉強したり、モチベーションを保ったりするのかを知れるので結構いい。

まあ、合格した人の日記なので、環境が良すぎだろ!とか元々優秀だからじゃない?とか思うけど、彼らの受験期には映し出されない壮絶な努力がある。

一部そういう人じゃない人もいるかもしれないが、ほとんどはめちゃくちゃ勉強してる。

参考程度に合格記を読むのはいいで。ワクワクするし。(私だけ?)

高校2年生まで

やはり公立高校は高3の内容は高3でやるんや。なので、直前期まで授業があることがほとんど。

しかしそれでは超難関校は間に合わない!と個人的には思う。凡人は無理です、少なくとも。

ただ、私の知っている人で、予習せずに授業を受け続け、千葉大学の理学部に現役合格した人がいるので、予習は絶対に必要とはいえない。(彼は高3から化学と物理、数3を学びました。こわい)

超難関校(東大、京大、東工大、一橋、その他旧帝大)は予習をした方がいい。

これら以下の大学なら予習しなくても受かることは受かる、が私の結論。

東工大をめざしていたので、私は数学を中心に予習を開始した。

ただ、選んだ参考書が青チャートだったので、予習に不向きな参考書だったなと...大反省。ばかです、はい。

そのせいで全然予習が進まず、結局全ての範囲がおわったのは高3の夏だった。

化学・物理に関しては高3の秋ぐらいまでやってたような…これで私立の人と戦うの正直しんどいね泣

高2までに全範囲の予習を終わらしておくべき。公立高校は厳しいかもだけど、ほんとに自分でやらないと高3で涙流しながら受験勉強することになる。少し先の自分を助けると思って、やってみて。

というわけで、効率的な勉強はできず、勉強時間だけが積み重なる。でも偏差値は上がらない。高2くらいまでは受験勉強していない人ばかりなので、受験勉強してた私はここまで偏差値高めにでていたけど、どんどん追い上げられる。

中学の頃を思い出し、また同じか。。とため息をついた。

高校3年生!いよいよ受験生に。

受験生になり、本格始動。

理系クラスに進み、かつ、物理化学選択のクラスだったので、男子が7,8割という感じ。

予習を進めるために、内職もしたり...。(先生ごめんなさい)

内職は先生によってはめちゃくちゃ嫌がる。そりゃそうか。

参考書や問題集を机の上に出すと確実にばれるので、私はノートに解いた問題を授業中に復習するというスタイルに。

ノートならバレない!!(悪知恵)

そして文化祭もそれなりに盛んな学校だったので、クラス全体で頑張った。

受験勉強が大切で準備に来ない人もいたが、文化祭は高校生生活最後の大きな行事。

一度きりの高校生活を楽しんでもらいたい。受験勉強に全てを支配されてほしくない。

これから先、勉強はいくらでもできるけど、高校生活はもう戻ってこないから。

勉強の話をすると、本当にずっと勉強していた。四六時中、勉強のことを考え、少しの時間も無駄にしたくなかった。

でもやっぱり人なので、サボる。

それはそれはすごい罪悪感が襲ってきた。

なんでサボっているんだ自分!と。この時期は本当に焦って勉強するくせに、ふとした瞬間に何もかもが嫌になった。

勉強嫌だ!と泣きながら勉強していたときもある。自分がやりたくてはじめたくせにね。人間なんて弱いもんです。

受験での一番の敵は、他の受験生ではなく「自分」だと思う。

どれだけ努力できるか、どれだけ入りたいという気持ちが強く保てるのか。

自分と向き合い、おのれの力を信じて、勉強と向き合い続けなくてはならない。

正直言って、浪人時代よりも現役の方が勉強していたし、辛かった。少し休むだけで襲う罪悪感が私を支配した。

決まっている受験日。終わらない勉強。上がらない偏差値。D判定から動かない模試の結果。

焦りが何度も襲ってきては、目の前の勉強に集中しなきゃと自分を奮い立たせる。

挙句の果てに、高3の年末に体調を崩して4日間くらい撃沈。風邪という感じではなく、体がギブした感覚があった。

頑張りすぎるとちゃんと壊れるんだなと思い知った。

たかが1年、されど1年。

当時は長く感じたけど、終わってみるとあっという間。そこから月日が流れた今日では、もう一日一日の記憶はなく、全体としてずっと勉強していたなという思い出のみ私の中に。

センター試験(現:共通テスト)当日

センター試験(現:共通テスト)は足切りしか使われないため、気楽に受験した。

女子大での受験だったので周り女子だけ。意外とワイワイしている会場で、緊張一色で包まれるよりよかった。最初の試験だったから、落ち着いて受験できたのは良かったかもしれない。

そしてすべての科目の受験が終了した。

その1か月後、本番である二次試験を迎えることになる。

二次試験前まで

センター試験後は学校でみんなで採点。意外と取れているものもあれば、全然取れていないものもあって。

足切りには引っかからない点数であることを確認し、二次試験に全振り。

学校も休みになるので、一日中家で勉強し続けた。朝も昼も夜も、ペンを握り机に向かった。

段々暗くなってくる部屋の中で、一日の終わりが近づいてくることを知り、時間はあっという間に過ぎ去ることを改めて思い知る。

 

そして出願。まだ郵送の時代だった。ギリギリで生きている私には珍しく早めに出願した。

東工大は早く出願すると大岡山キャンパスかつ比較的広い講義室(本館)で受験できる。当時の話だから変わっているかもだけど

受験番号一番取ってやるぜ!!って気持ちで早めに出願するといいかもよ。

そしていよいよ二次試験が始まる。

(それまでに慶応練習で受けて落ちたことは秘密だぞ)

二次試験本番

オープンキャンパスぶりに訪れた東工大大岡山キャンパス。

知っている顔はなく、一人会場に向かう。

周りがみんな頭良く見える。以外と女子の受験生多いなとか思ったり。

会場は本館地下の講義室ど真ん中。ここで授業を受けるようになるんだろうか。

用紙が配られ、緊張の空気と静けさ。スタートと同時にめくられる紙の音が、その試合の合図。

数学3時間があっという間だった。必死に食らいついた。実力なんか伴っていないけど、諦めずに。

意外と数学解けたかも?と謎の自信。

英語はもう記憶にないです(疲れすぎ)

そして二日目。物理と化学。それぞれ2時間。

受験時代最大の思い出は、東工大2016物理にあるといっても過言ではない。

用紙をめくり、問題を見る。

1問目を解こうとペンを動かす。

正確には動かそうと思った、が正しい。

今までどんな難問でも、ペンが動かなかったことは無かった。1問目は大抵誘導がついていたり、易しめの問題だから。

それがどうした、このときだけは動かなかった。動かせなかった。

問題文が何を言っているかわからない。状況を呑み込めない。一問目から解くことができない。

何とか解いても、不安が残る。これで本当にあっているんだろうか。1問目で躓いてしまったら、そのあとはすべて間違えてしまう。

今まで勉強してきた知識をフル活用させても、あっているかわからない。時間だけが過ぎていく。

次の大問を解こう。ページをめくり大問2へ。

しかしそれもわからない。何を言っているのか、わからない。

察しがいい方はわかるかもしれない。大問3も全く同じ状況に陥った。

 

今まで何を勉強してきたのだろうか。私は何のためにここまでの日を勉強につぎ込んだのだろうか。解けなければ、勉強していなかった時の私とおなじじゃないか。

悔しさと虚しさ。そして絶望。

あれほど苦しく狂いそうな時間は、これまでもこれからも無いかもしれない。

わたしのすべてを否定されたかのような感覚に包まれた。

試験中に、不合格を確信した。

東工大不合格、そして浪人

必死に努力して、戦った。けど、不合格だった。

その日は涙が止まらなかった。全てを否定されたような気持ちになった。

一年、それ以上の歳月をつぎ込み、何もかも犠牲にしたのにもかかわらず、不合格。

どうすれば、合格できるのかわからなかった。やはり東工大は頭のいい人にしか入れないのか...。

もう一度頑張れるのか、自分に問いかけたとき、東工大を諦めきれない自分がいることに気づいた。

浪人することを決意した。絶対に合格してやると。

頭が悪くても入れることを証明したい。そう思った自分の心に従った。

▼落ちたときのお気持ち表明

▼浪人を迷っている人へメッセージ書きました

宅浪をする~孤独との闘い

お金が無かったので、予備校に行くという選択肢はなく、宅浪に。

▼ここでの生活も濃い!ので別記事にしました。

とにかく、孤独との闘い。全て一人でやらなければならない。

どの参考書でやるべきか、どの模試を受けるべきか、どのくらいの勉強量をすればいいか。

正解がないからこそ、不安になる。

でも、やらなきゃいけない。頑張り続けなきゃいけない。

一年間、時々休みながら、自分のぺースで勉強を進めた。

合格を掴む

試験の感触は良かった。少しの自信を得ていた。だからこそ、キャンパスで張り出される合格者の番号を見に大岡山へ。

発表時間よりも早く張り出されていたようで、すでに湧いている。喜びの声と、それを祝福する声が入り乱れる。

私の番号は。。あるかな。。あるだろ。。ないかも。。。

何度も不安と自信を行き来しながら、番号を探す。

あった。私の番号が掲示されている。あった!!!!!!

各所に電話をした。親、お世話になった先生。

これほど嬉しいことはなかった。19年生きてきた中で一番胸が高鳴った瞬間だった。

今でも、東工大に入れてよかったと思う。大好きな場所。
先生との出会いにも恵まれ、研究に没頭する毎日を送れている。

毎日通う場所が、ここで良かった。

あなたに伝えたいこと

この受験で何度も失敗して何度も諦めかけました。全然自分に自信がなくて、でもどうしても東工大に行って、超難関大学がどんな所なのか、どんな人達がいるのかを知りたかった。

勉強するのが嫌で嫌で仕方なかった時、何もしたくないという無力感に苛まされた時、泣きながら勉強してました。

ずっと受からないかもしれない、正しいことをしているのか、これで合っているのか、そんな不安と戦っていました。

受験はどこかの誰かと戦うことです。一方で自分との戦いでもあります。この勝負に勝ったら、おそらく自分に自信がつき誇りを持って、この先の人生進むことが出来ると思います。

今でも東工大受かって良かったと思う時があります。

このまま自分の実力程度の大学に進み、環境に結構影響されるタイプなので、自分からさらにレベルアップを図ろうとはしなかったでしょう。

適度に楽に生きていたかもしれません。しかし、あの時頑張っていたことで、今の自分があります。

周りのレベルの高さに圧倒されつつも、彼らより出来ることが自分には絶対あると信じて、これからも学び続けます。

長々とお付き合い頂きありがとうございました!

▼その他こちらのサイトでは使った参考書、勉強方法とかも紹介しています

▼塾なしで合格するためにやった7つの戦略!